KEITH JARRETT SOLO 2008(東京芸術劇場 大ホール)


ソロでの来日は2年半ぶりのキース・ジャレット。もしかしたら(特にソロは)もう聴く機会がないかもしれないと思っていただけに、来日公演は非常に喜ばしい。東京、横浜、大阪で計4公演、聴く者誰もを震わすあのピアノが、また聴けるのかと思うともうそれだけで感無量だ。最終日、池袋の東京芸術劇場、前から3列目中央というビックリな座席で息を止めて集中して堪能してきた。


前回のこの会場での公演、観客の出す物音や咳があまりにも酷くてキースが怒り出すというあまりにも嘆かわしい事件があったが、今日もそうなってしまったらどうしようかと大きな不安がよぎる。会場入り口には静聴と集中を促す張り紙が掲示され、主催者側のわずかながらの配慮が伺えた。
開演前にはキースから観客へのメッセージがアナウンスされ、開演の19時から10分ほど押してあっさりキースがステージに登場。真っ黒い上下に東洋っぽい黄金色のベストを羽織っている。マジで至近距離だ・・・・。これだと演奏中の表情や指使いまでよく観察できるだろう。相棒はもちろんSTEINWAY&SONSのピアノ。もったいぶらずにピアノに向かい、いよいよLIVEの始まりだ。さあ!集中しよう!


ロディアス、というよりももっとずっと抽象的で、複雑なフレーズを重ねる難解めな曲が1曲目から飛び出してきた。観念的で哲学的な感触である。『KOLN CONCERT』のような日本人受けする解りやすいメロの曲からくるかなと思っていたが、こういうのもエモーショナルで、キースらしい。深い森の奥でじっくりと夜明けを待つような、光が射して神が降臨するのを待ち受ける気持ちで私は聴いていた。今日のオーディエンスは目立つ雑音を出す人が少なくて安心。よかった・・・。メロディともコードともとれない美しくも不思議で妖艶な響き、この日のこの会場でしか聴けない叙情性溢れるインプロヴィゼーション、たて続けにフレーズが飛び出し、気がつくと40分も経っていた。ここまでの音楽を生で聴けるとは筆舌に尽くし難い。2曲目は一転してブルーズ。演ってることはヨーロッパっぽかったりするけど、この人アメリカ人なんだよね(笑)。タッチは軽快で展開もスムーズ、リズミカルでそのうえ艶かしくメロディアス。独特なコードのヴォイシングは味わい深く、ピアノが綺麗に響き渡る。なにを演奏してもキース・ジャレットそのものだ。素晴らしい。


20分の休憩を挟んだ後半も同様に美しくも儚い、しかし熱や強さもたっぷりと感じさせる完全即興演奏で魅了してくれた。音の面では客席後方のほうが良いのだろうが、こんなサウンドを紡ぎだすキースの指使いが眼前で見られるなんて二度とない機会なので目と耳でフルにLIVEを味わうことにした。特殊なコードが分解されてメロディへと昇華し、そのメロディがまた別の新しいメロディを呼び出し、とてつもなく大きな美を生み出してゆく。世界観はこの上なく静謐で上品で気高く、それに加えて長年JAZZ界を背負ってきた超一線級のピアニストとしての誇りと音楽への多大なる愛が伝わってきた。LIVEが進むにつれどんどんと引き込まれ、のめり込み、気がつくと本編が終わっていた。なんだか夢を見ているようだった。


オーディエンスの温かい拍手に迎えられ、アンコールでキースが再登場。緊張感のあるLIVEだけれども場内の雰囲気は和やかだ。何度も何度もお辞儀をする彼は、涙を誘うバラードを披露して拍手に応えてくれた。彼の世界に魅了され、感情が昂り息が詰まりそうになる。スタンダード曲も含め、アンコールで3曲。来日公演の締めに相応しい、日本の観客のための最高のプレイを聴かせてくれた。泣きそうになったよ!!



病を見事克服し、63歳になっても第一線のミュージシャンとして世界を飛び回りファンに感動と力を与えるキース・ジャレット。もしかしたら私は今後の来日公演には参加できないかもしれないが、今日の神懸りなパフォーマンスは私の人生の宝物だ。神懸りなパフォーマンス、、、、じゃなくてKEITH JARRETTが神そのものなのだ。



カーネギー・ホール・コンサート

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