阿佐ヶ谷スパイダースPRESENTS 『失われた時間を求めて』(ベニサン・ピット)

作・演出:長塚圭史


出演:中山祐一朗伊達暁長塚圭史奥菜恵


「あともうひとり」という表記により伏せられていた出演者は奥菜恵だった。雑誌やWEB等のインタビューにおいて、今までこの劇団でやってきたことを一旦リセットし、ワークショップからじっくりとメンバー3人でできることを再構築し、観る側の想像力を喚起させる作品をつくっていきたいという旨の発言をしていた主宰・長塚圭史。なにやら今回はひっそりとした不条理劇で、ファンの間では賛否両論だ。「えんぺ」なんかでは否定的な書き込みが多く見られるが実際のところはどんなものだったのだろうか。


ステージセットはベンチと街灯と公園にあるようなゴミ箱がそれぞれ一台ずつ、周囲は壁で囲まれており、ドアが向かって左後方、舞台上手袖、下手袖に、計3つというシンプルなものだ。登場人物4名が替わる替わるに出たり入ってきたりして、舞台上には誰か彼か常に2人がいるという有り様だ。ストーリーも演出も余計なものは極力削ぎ落とされており、たしかに抽象的で静かな作品ではあったが、個人的な感想を述べれば解りにくいとは感じはなかったし、非常に良くできていて見ごたえがあったと思う。
時間・空間という概念を失った者たちは、人生で何に価値を見出すのか。過去を捨て、未来も捨て、自分の居場所さえもわからなくなった彼らの人生においては何が有効で、大切で、頼るべきものであるのか。長塚の訴えたかったこと・伝えたかったこと・見せたかったことはここいら辺なのだと私は想像した。いま人を(自分を)取り囲む煩わしい既成の概念や環境から逃れ、勇気を持ってまっさらで生きていく(挑んでいく)ときに見えるものの温もりや怖さや不確かさを演劇という装置で生々しく魅せてくれたのだ。
飼い猫を探す男(長塚)、なぜかその男を追い掛け回す女(奥菜)、男の兄弟(伊達)、積極的に絶望と憎悪に陥ろうとする汚い格好の男(中山)、迫力のあるシーンや大掛かりな見せ場はなくとも、彼らのやりとりから垣間見える人生観(もしかしたら長塚の演劇観??)にはなんともいえない独特の魅力が織り込まれており、1時間40分はあっというまだった。
前作の『少女とガソリン』に続いて伊達の俳優としての不器用さがやや気になった以外は表現として最高と言えよう。奥菜は人間らしく輝いていたし、俳優としての長塚も優秀だった。そして人気者の中山はやっぱり何を演らせても本当に巧い。かすかな希望の光が見えたラストシーンの絵(中山・長塚・奥菜が地面に枯葉を並べる)は、ずっと忘れられないだろう。





開演して15分くらいまでは会場の冷房が効き過ぎていてとても寒かったのだが、それも季節感を表すための演出というのは考えすぎだろうか。どうだろう。


[評]失われた時間を求めて (阿佐ヶ谷スパイダース) (YOMIURI ONLINE