阿部和重 『プラスティック・ソウル』


プラスティック・ソウル

プラスティック・ソウル


待ちに待った単行本化!この『プラスティック・ソウル』は1998年から2000年にかけて『批評空間』に掲載された中篇小説で、阿部和重の作品としては初めて連載という形式で発行された物語である。すぐに単行本化されなかったのは、山崎まさよしが『Plastic Soul』という同名の楽曲をリリースしたことで、出版するのがイヤになったことが理由らしい。

アシダイチロウ、ウエダミツオ、エツダシン、イダフミコの素人文筆家4人はG系の出版社からの依頼を受け、共同執筆という形ででっち上げた架空の作家「オノダシンゴ」のゴーストライターを務めることになる。アシダイチロウはその恋人・ヤマモトフジコと共に生活する中で、ドラッグの過剰な摂取により深い妄想癖と健忘症に見舞われることになった。そんな中、長髪の男が日曜の早朝にマンションの部屋のドアをノックしてきたり、ウエダミツオが突然謎の失踪を遂げてしまったり、見知らぬ人からオノダシンゴと見間違われたりと、不可解な事件が続き、彼の健忘症と妄想癖はますます酷い症状へと陥っていった。




どこまでが事実でどこまでが妄想か?不確かな記憶と拙い想像力を頼りにアシダイチロウは顛末を整理する。アシダイチロウは、 私は、 ヤマモトフジコは、 わたしは、 なんの予告もなく物語の語り手がめまぐるしく何度も交代され(巻末に収録された福永信の『「プラスチック・ソウル」リサイクル』によるとその交代は43回!)不可解な事実(妄想?)はますます混沌と描かれていく。眼が回る。視点の移動によって読者までがクスリをキメてしまったような錯覚になる。その移動の様は阿部の大長編『シンセミア』よりも露骨で生々しい。大胆な実験性にトリップしてしまいたいジャンキーさんにオススメしたい。

東京タワー、皇居、古墳、花言葉、TVゲーム、文鳥、ドラッグ、セックス、オチンチン、オマンコ、、、散りばめられたいかにも阿部和重的なキーワードも異様性と混沌さを高めるのに遺憾なく効力を発揮している。ファンならずとも登場してきた時には思わずニヤリだ。「ダ」で統一された人物名もはじめは紛らわしいことこの上ないが、読み進めるにしたがって馴染んできて濁音の汚さが心地よくなってしまう。まるでドラッグのようだ。
序盤で撒き散らされた数多の謎は結局最後まで放置され、共同執筆が結局どうなったのか、アシダイチロウを(存在しないはずの)オノダシンゴと見間違えた男は何者なのか、なぜウエダミツオは失踪したのか、ヤマモトフジコは詐欺師だったのか、肝心な点には触れられずに物語りは終わりを迎える(『シンセミア』のスッキリさとは対照的だ)。その分物語の主題とは関係ないと思われる(正直どーでもいい)場面がかなり多い。それゆえ読んでる私も既読の部分を忘れてしまい、主人公に釣られて健忘症を煩ってしまったような錯覚になった。不思議な作品だ。物語性が弱く、読後に妙なモヤモヤが残るが、その消化不良感も阿部ワールド。

シンセミア』の種明かしとしてこのタイミングで出版されたのは災い転じて、と言いたい。山崎まさよしありがとう。