ゴキブリコンビナート 第22回公演 『my life as a punishment-game』 (木場公園 多目的広場)

作・演出・美術:Dr.エクアドル
作曲:Dr.エクアドル、オマンサタバサ、病気マン
出演:小山涼、遠藤留奈、若人あきこ、スガ死顔、オマンサタバサ、ボボジョ貴族、かめこのぶお、病気マン
    油絵博士、本間幸子、ワッシャー木村、Dr.エクアドル千鳥格子、スピロ平太


地獄の3Kミュージカル、泣く子も黙る壮絶な芝居を見せてくれるゴキブリコンビナート、待望の本公演。ちょっと前に銀座の画廊で催されたヤツには怖くて行きそびれたので彼らを見るのは久しぶりだ。危険で汚くてこわ〜い奇抜な演出で社会の底辺で生きるどうにもならない下層人間を描くという作風は相変わらず。肉体労働者や被差別民族が登場するのはいかにもゴキブリコンビナートだ。そして今回は7月という季節にぴったりな野外公演、汚れてもいい服を着て見に行ってきたぞ。
序盤でいきなり労働者による痰吐き名人選手権、沖縄出身グラビアアイドルとして名を馳せた女とその恋人の男、女の最期の言葉で述べられた妹の存在、ゴミを食う女の兄、そんな沖縄人とアイヌ人との抗争、愛と憎悪が深く入り乱れる、分かるような分からないようなストーリー、これもゴキコンらしさ?と思ってしまった。ストーリーで引っ張ってく劇団じゃないからその辺はどーでもよい。とにかく想像を絶する驚きと恐怖の連発で命からがら逃げ切ってきたことだけが幸いだ。
想像を絶する驚きと恐怖、まずセットがすごい。。。こんなモノはゴキコンじゃなきゃ絶対に見られない。木場公園内に半径約30m(底辺)・高さ約5mほどの円柱形に組まれた単管製の劇場(?)、その中に軽トラックが一台、その荷台には丸太で矢倉が組まれており、何かで汲み上げられたであろう水がジャージャーと注ぎ込まれている。舞台が幕を開けると劇場(?)の壁部の一部が大きく開口しトラックが別な一台と入れ替えられたり、場外からなにやら奇怪な役者が乱入してきたりで目が離せない。もちろん荷台から激しく飛び散る水が客にかかるのはもうお決まり。これくらいはなきゃゴキコンじゃないよね。場内の客は逃げ惑うばかりだ。。。
そして演出もすごい。松明を持ったイカレた男女が突入してきた時には私はマジで身の危険を感じて、作品を観るよりもとにかく彼らから逃げることに注力しようと決心した。もしかしたら火の粉が身にかかった観客もいたのかもしれない。その他にも逆さ吊りで水中から引き上げられる女、単管から飛び出る花火、ビニール袋からゴミを散らかす男、出演者それぞれが本気の罰ゲームのように命懸けのパフォーマンスをやってのけている。よくもこんなことができる役者を集めたものだ。。。
終盤に近づくにつれて危険度が徐々に薄れてくると、奇抜さだけがクローズアップされがちなこの劇団だが、なにげに演技者としてもなかなか有能な者が目に付いた。観客に訴えかけるように雄雄しく語るオマンサタバサの姿は勇ましく飛びっきりかっこよかったし、目を輝かせながらSPEEDの‘STEADY’を歌う遠藤留奈のダイナミックさはポツドールで見たときよりもはるかに活き活きとして魅力的であった。それになんといってもスガ死顔の風貌、表情、パフォーマンス、役づくりにおいての捨て身の熱の入りようは物凄いことこの上ない。
微妙にたどたどしいのはわざとなのか、自作の人間味溢れる音楽も意外に凝っていて可愛らしく、場の雰囲気をさらに盛り立てるのにしっかり機能していた。一見大雑把そうでも細かい部分にもしっかり目が行き届いている。



どういう過程を経てアイディアを形に仕上げて、どうやってメンバーを集めて、どんな稽古をして、どういう気持ちで演じているのだろうか。素人目には全く想像もできない。書いたのはこの作品の壮絶さのほんの一部に過ぎないがここまでなモノを構想し、ホントに実行しちゃうDr.エクアドルはスゴい。。。辛くも生き延びたことによる安堵感と濃い作品を味わったことによる満足感が入り混じったような終演後の観客たちの豊かな表情が作品のすべてを物語っている。こんな顔はなかなか見れないよ!尋常じゃない企画力はどこから生まれ出てくるのであろう、描かれているのは底辺の人間だが、ここまで観る側を満たすことのできる者は逆に頂点なのではないか、な、どうだろう・・・???
マネできるもんならやってみな!って心の中ではニヤリとしているのかもしれない。


公演の終盤で近隣住民らしき者からの通報を受けた警察が来ていたようだが、なんとか中断せずに乗り切った。こんなドキドキ感だってゴキブリコンビナートじゃなきゃあ味わえないぜ!!


STEADY

STEADY